#3 〝看護実践はAIに支配されるのか?″
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人工知能(以下、「AI」とする)が人間の領域を凌駕する日がやってくるのではないか、人間がAIに支配される世界が来るのではないか、と、不安を煽るような議論が聞こえてきます。
ここで、「人間の領域」を「看護」に置き換えてみるとどうでしょう。
AIが看護の領域を凌駕し、看護実践がAIに支配される日が来るのでしょうか。
このことを考えるきっかけとして、2023年冬に、看護学部の学生たちと共にとある高齢者施設に実習に行ってきた時の一場面をご紹介しましょう。
ある女性の利用者の方がタブレット型のPCを使って将棋のゲームに興じていました。とても楽しそうに、夢中で対戦相手であるAIに挑んでいる様子が印象的でした。しばらく様子をうかがっていますと、例えば打つ手に困っていると、必ずスタッフの方が「〇〇さん、こうしてみたらどうです?」などと声をかけたり、勝利の結果が出ると一緒に喜んだりしていることに気づきました。
つまり、その女性の方はAIではなく、AIを介して、スタッフさんや周囲の方々とつながり、ケアを受けていたのです。
山田圭一(2019)は、AIと人間との恋愛可能性という興味深い問題について論考し、それが可能になる分岐点は、「道具的な価値を超えて相手を代替不可能な内的価値をもったものとみなせるかどうか」であると述べています。
看護実践には、相手との感情の交流が含まれる場合があります。
それは、たとえば安心感をもってもらうなどといった感情面への支援へと展開していくわけですが、AIからの働きかけでわたしたちは真の安心感を持つことができるでしょうか。
代替可能な道具という見方を乗り越えられなければ、それはコミュニケーションの媒介者にはなりえても、それ自体をもって不安が払拭されることは難しく、まして信頼関係をベースにした看護実践の主体として受け止められるようになるまでには容易ではないように思います。
これらのことから、看護実践がAIに支配されるまでの道のりは遠く、今のところは、看護に与る者が様々な瞬間で、「かかわりつつ問い、問いつつかかわる」仕方で模索することが、個別的な看護実践にたどり着くための方途である、と考えます。
参考文献
越智 貢・金井淑子・川本隆史 他 偏、2004、応用倫理学講義1 生命、岩波書店
山田圭一、2019、人はAIと恋愛することができるのだろうか、吉川 孝・横地徳広・池田喬 編、映画で考える生命環境倫理学、勁草書房
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