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せっちゃん(後編)

※連載小説「リリィ」は、金城学院大学を舞台にした物語です。
この物語はフィクションであり、実在の人物とは関連がありません。


大学の事務室を通じて、学生証は無事にハルコのもとに帰った。しばらくして、何かお礼がしたいという連絡が彼女から届いた。学食でナンカレーセットをごちそうになって以来、ハルコと私はたびたびランチを一緒に食べたり、おしゃべりをしたりするようになった。この春、進学とともに名古屋で一人暮らしをはじめたという彼女は、一見、古風でおとなしそうな印象であるが、意外と馬が合って、学部は違うけれど授業の合間を見つけてはよく二人で待ち合わせをした。
「そういえばさハルコ、うちのおばあちゃんの話ってしたっけ?」
「え、どんな話?」
私は、私たちが出会うきっかけになった学生証のエピソードから、祖母の生い立ちや「せっちゃん」事件の話を彼女に聞かせた。
「ね、面白いでしょ?あれ、ごめん、面白くなかったかな」
いつになく真剣なハルコの表情に少しびっくりした。
「ねえ、ユリのおばあちゃんって、いまおいくつ?」
私は記憶を頼りに、祖母の年齢を思い出し、ハルコに伝えた。
正面のハルコは、真剣な表情のまま目を丸くしている。
「どうした?ハルコ?大丈夫?」
まん丸の彼女の目が次第に半月のカーブを描いて、満面の笑顔になった。私は訳がわからず、あっけにとられる。
「ユリ、私、せっちゃんかも」

ハルコは、横浜生まれで横浜育ちであるが、ハルコのお祖母さんはもともと名古屋の出身だったそうだ。ハルコのお祖父さんと結婚し、その後はずっと横浜で暮らしてきた。ハルコのお父さんが生まれ、ハルコが生まれ、今につながっているという話だった。彼女が中学生のときに、すでに病気でお祖母さんは亡くなっているそうだ。私は、彼女の話がどこに向かうのか見当がつかず、眉間に皺を寄せた。
「それでね」
彼女は、ひと呼吸おくと、私の目を見据えて話を続ける。
「おばあちゃんがまだ元気だったころ、よく大学時代の楽しい思い出を聞かせてくれたの。うちのおばあちゃんも、生きてたら、今年でちょうどユリのおばあちゃんと同じ年齢!」
そこまで話すと、ハルコはじっと黙り込むと、いたずらっぽい笑みを浮かべて私の顔を見つめた。え?だから?突然始まった彼女の話がなかなかつながらず、私の眉間には皺が刻まれたままでいる。しばらくして、私の表情の変化に気づくと、ハルコはニコッと微笑み頷いた。
「え?え?もしかして」
口を開いたまま、私は彼女に尋ねる。彼女は、そのまま何度も大きく頷く。
「ハルコのおばあちゃんの名前って」
「セツコだよ」

前期の授業が終わった夏休みのある日、ハルコがはじめてうちに遊びにきた。最寄りの駅まで彼女を迎えに行った。入道雲が空高く積み上がっていて、気持ちがいい夏の日だった。
「狭い家だけど、あがってあがって」
「おじゃまします」
私はハルコを家の中に招き入れる。自分の部屋に向かう途中、ダイニングの前を通りかかると、ハルコは足を止めた。ソファの上で行儀よく正座をして、笑顔で午後のワイドショーを見ているいつもの祖母の姿があった。ハルコはその姿を優しい横顔で見つめている。
「おばあちゃん、こんにちは。おじゃましますね」
祖母に近寄ると、ハルコは祖母の視線の高さに合わせてしゃがみ、ゆっくりと声をかけた。祖母の視線は、ワイドショーのキャスターからゆっくりとハルコの顔へ移されていった。穏やかな笑みを浮かべていた祖母の顔が、急に驚いたような表情に変わる。目を丸く見開くと、正座したまま背筋を伸ばし、ハルコの手をギュッと握った。突然のことで、ハルコも驚いた顔をしている。
「せっちゃん、せっちゃん」
祖母は、目尻の皺をさらにくしゃくしゃにしながら、「せっちゃん」の名前を何度もよんだ。ハルコは祖母の手を握り返しながら、優しく繰り返し頷いた。

夏の午後のダイニングの光景は、なんだか不思議なものだったけれど、嬉しそうな祖母の横顔に、あの写真の中の少女の面影を見たような気がした。

作:加藤大樹

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あとがき

はじめまして。「ことばの樹」マネージャー兼雑用係のキミドリです。

『せっちゃん(後編)』、いかがでしたか。
ユリとハルコは不思議な縁で結ばれていたんですね・・・なるほど。歴史の長い本学ならば、あるかもしれないエピソードです。

さて、今回のあとがきは本学の歴史をなぞりながら、ハルコのおばあちゃんとせっちゃんが通っていた時代を振り返ってみたいと思います。
本学は、宣教師のアニー・ランドルフ先生が明治時代に設立した女学専門冀望館をルーツとし、1949年、現在の地に設立されました。ちなみに、当時は「名古屋市守山区」ではなく、「愛知県守山市」でした(1963年に廃止、名古屋市に合併)。

1949年と言えば、第二次世界大戦が終戦した4年後です。まだまだ戦争の爪痕が残っていた頃、本学は文字通り、立ち上がりました。そして、この時、最初に設置されたのが、ハルコのおばあちゃんたちが学んだ英文学部です。初年度はわずか15名の学生でしたが、ハルコのおばあちゃんたちが通う1950年代後半には、文学部英文学科となり、多くの学生が学んでいたと記されています。
そんなハルコのおあばちゃんたちが青春真っ盛りだった1959年9月。この地域に伊勢湾台風が襲来し、甚大な被害をもたらしました。本学も木造校舎が壊滅的な打撃を受けましたが、被害の軽かった学生たちは、義援金の募集や炊き出し、託児所のお手伝い等の救援活動に奔走したそうです。もしかしたら、ハルコのおばあちゃんとせっちゃんも、この救援活動に一緒に取り組んでいたのかもしれませんね。二人の深い絆を想像してみました。

守山市のことや伊勢湾台風のことなど、古くからこの地域にお住いのご家族・お知り合いがおみえでしたら、ぜひお話を聞いてみてください。お話を通して、その時代を生きた金城生のマインドに思いをはせてみるのもよいものですね。

今回のあとがきはここまで。次回もお楽しみに♪ 

参考文献:金城学院創立130周年史