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せっちゃん(前編)

※連載小説「リリィ」は、金城学院大学を舞台にした物語です。
この物語はフィクションであり、実在の人物とは関連がありません。


大学から駅までの下り坂を足早に降りていく。この春新しく買ったばかりのショルダーバックに、何枚か桜の花びらがついているのに気づいた。今年は開花が遅かった桜の花も、一年に一度のお披露目の時期を終えて、はらはらと宙を舞っている。腕時計に目をやると、五時少し前。
「急がないと間に合わないかな」
4限の授業の後、聞き逃した箇所のノートを友人に見せてもらっていたら、時間がギリギリになってしまった。混み合う細い歩道の中、バイトに遅れないように私は少し足を速めた。
「ちょっとすみません」
前を歩く人たちに道を譲ってもらいながら、私は駅の改札へと急いだ。駅の手前の横断歩道。いつものように道路脇に移動販売のクレープ屋さんの車が停めてある。甘い香りに引き寄せられそうになるが、今日は我慢。赤信号がいつもより長く感じられる。信号待ちの間に、足下に何か落ちているのを見つけた。
「何だろう?」
見覚えのあるプラスチック製のカードだ。
「あ、学生証」
信号が青に変わる。一瞬どうしようか迷ったものの、鞄の内ポケットに拾ったカードをしまい、横断歩道を渡った。

車窓から、丘の上のキャンパスの木々が見える。その中に、鉛筆の先みたいなランドルフの屋根が顔を出している。ランドルフというのは、私が通う大学にある講堂の愛称だ。入学式の時に、創立者の名前から名付けたという話を聞いた。朝昼夕と三回、きれいな鐘の音があの屋根の下から聞こえてくる。帰宅ラッシュの電車は、私を乗せて名古屋の中心の栄に向かって走っていった。

「ただいまー」
「お帰り、ユリ。遅かったわね。バイトは少しは慣れた?」
「んー、ちょっとずつね。もうお腹鳴りっぱなし」
「コロッケ揚げてあるから、早く着替えてらっしゃい」
「ラッキー!お母さんサンキュ」
大好物のコロッケに小躍りしながら、自分の部屋に荷物を置きに向かう。
「あ、そういえばね」
「何?どうしたの」
エプロンを外しながら母が怪訝そうな顔をする。
「大学の帰りにね、こんなもの拾ったんだ」
ダイニングテーブルの上に、カードをのせる。
「あら、学生証じゃないの。この子も困ってるんじゃない?連絡してあげたほうがいいんじゃない?」
「うんー、そう思ったんだけどね。もうこんな時間になっちゃったし、明日大学に届けてみるわ」
「そうしてあげなね。あ、この子、あんたと同級生じゃない?」
「え?あ、ほんとだ。一年生だね、学部は違うみたいだけど」
まだ新しい学生証には、少し緊張した面持ちの、おかっぱの似合う女の子の写真が載っている。私と同じ入学年次の学籍番号の隣には、「カミサワ ハルコ」と書かれている。

「せっちゃん」
ダイニングで番茶をすすっていた祖母が、突然声を出したのでびっくりした。
「え?」
私と母は思わず声をあげて顔を見合わせる。祖母とは、同居を始めて数年になる。母方の祖母で、もの静かで上品で、私とは真逆のタイプだけれど、そんな祖母と過ごす穏やかな時間はけっこう好きだった。数年前から、もの忘れがあったり、会話が少し噛み合ないことが増えたりという症状が見られるようになり、一人暮らしをやめて一緒に暮らすことになった。祖母は、その昔、私が通う大学で英文学を学んでいたそうで、なかなかのお嬢様だったらしい。昔の写真を見せてもらったことがあるけれど、映画に出てきそうな凛とした姿は素敵だった。私がこの春大学に進学したときも、「懐かしいね嬉しいね」と喜んでくれた。今は、体調のこともあり、あまり話さずに、笑顔を浮かべながらテレビを見て過ごしていることがほとんどだ。

私は、しゃがんでゆっくりと祖母に話しかける。
「おばあちゃん、せっちゃんじゃないよ。私の大学の同級生の落とし物。明日返してあげなきゃいけないから、もらうね」
「せっちゃん、せっちゃん」
ニコニコしながらそう繰り返す祖母の手から、学生証を返してもらった。

(後編に続く)

作:加藤大樹


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前編あとがき

こんにちは、優作です。
はじまりました、連載小説「リリィ」。
「駅までの下り坂」や「ランドルフ」など、懐かしい光景が浮かぶ方もいらっしゃるかもしれませんね。

今回の前編あとがきでは、「ランドルフ」についてご紹介します。

金城学院は、1889年アメリカ人宣教師アニー・ランドルフが私費を投じ、私邸の中に設立した「女学専門冀望館」をルーツとしています。
本文中の「ランドルフ」とは、創立者の名を冠する金城学院大学の象徴的な講堂で、正式名称は「アニー・ランドルフ記念講堂」といいます。せっちゃんのファーストビュー(一番上の画像)にも使用しています。

アニー・ランドルフ記念講堂は、建学の精神の象徴として建てられた施設で、教育や研究はもちろん、地域の学術・文化の発展に貢献することを目的としています。約1,700人を収容できる大ホールは、入学式・学位記授与式などに使用していて、名古屋市都市景観賞も受賞している建物なんです!

ファーストビューにも映っている緑色の三角屋根の下にはカリヨンがあり、1日3回美しい鐘の音で讃美歌や校歌が演奏されます。演奏曲は毎月変更されるのですが、12月だけは1カ月のうちに2回変更します!12月後半の時期は皆さんもクリスマスシーズンによく聴くメロディが流れますよ。大学のホームページでも紹介していますので気になる方は確認してみてくださいね。

今回の前編あとがきはここまでです。
次の後編もお楽しみに。