カワセミ先生(後編)
※連載小説「リリィ」は、金城学院大学を舞台にした物語です。
この物語はフィクションであり、実在の人物とは関連がありません。
史料館のすぐ隣のE1棟を五階まで登っていく。エレベーターホールのところでフロアマップを確認する。川澄研究室は、廊下を進んだいちばん奥だ。このフロアに来るのは初めてで何だか少し緊張する。一階と二階には教室があるので,いつも来ているが、三階より上は事務室や研究室があるので、これまで訪れる用事がなかった。目的の部屋の前に立ち、プレートを確認する。部屋番号の隣に川澄先生の名前が書かれている。ここで間違いなさそうだ。私は、深呼吸をして、コンコンと扉をノックした。しばらくすると、
「はーい、どうぞ」
という返事が中から聞こえてきた。私は、
「失礼します」
と声をかけて部屋に入る。
ドラマなどで大学の先生の研究室は見たことがあったが、実際に中に入るのはこれが初めてだ。私の中の埃っぽい古びた研究室のイメージとは少し違って、白い部屋は落ち着いたオフィスのような雰囲気だった。部屋に入った瞬間、コーヒーの甘くて苦い香りがふわっと漂ってきた。バイト先のマスターが淹れるコーヒーと同じような優しい香りに私は親しみを感じた。片側の壁は一面書棚になっていて、様々な本が几帳面に並んでいる。専門書だろうか、半分くらいは英語のタイトルの本が並んでいる。書棚の一角には、いくつかの写真やフィギュアが並んでいる。みんな楽しそうな笑顔で、先生と学生たちが一緒に写真に収まっている。そのまわりに、かわいい小鳥のフィギュアが行儀良く配置されていた。私が興味津々でそれらに見入っていると、後ろから、
「ゼミの学生たちが、プレゼントしてくれるんですよ」
と低くて優しい声が聞こえる。文鳥のフィギュアを丁寧に取り上げて、
「私が鳥が好きだから、みんながお土産などで持ってきてくれるんですけどね、気づいたら仲間がこんなに増えてしまいました」
川澄先生はそう笑って、文鳥を元の位置にそっと戻した。
「笹川さんは鳥は好きですか?」
「え?あ、はい。そんなに詳しい方ではないですけれど、かわいい小鳥を見るのは好きです」
「そうですか。私も小さな鳥を見てると癒されます。鳥好きに悪い人はいませんからね」
そう言って、先生は優しく笑った。
不思議な雰囲気の先生だった。オリエンテーションの時に、学科の先生たちの紹介があったが、その時にはあまり印象に残っていなかった。こうして初めて話してみると、初めて会ったとは思えない安心感がある。年齢は私の母と同じくらいだろうか。部屋の雰囲気は子どものような遊び心があるけれど、話し方にはおじいちゃんのような落ち着きもある。私は、自分のアドバイザーの川澄先生にだんだん興味と親しみが湧いてくるのを感じた。先生に勧められて、テーブルの席につく。
「大学生活はどうですか?だんだん慣れてきましたか?」
先生の質問に、私は大学に入学してからこれまでの日々を振り返る。入学式、オリエンテーション、はじめての授業、新しい友達との出会い。まだ少ししか経っていないのに、何だかすごく充実しているなと感じた。気づくと、私は自然とニヤニヤしていたようだ。
「何だか楽しそうですね。大学での毎日を楽しんでくれているようで何よりです」
「はい、忙しい毎日ですけれど、毎日楽しいです!」
先生はよしよしというように何度も頷いて、
「無理をしないように毎日を楽しんでくださいね」
と言った。
その後、履修中の授業の確認や、前期の授業の今後のスケジュールなど、先生と一緒にいろいろな話をした。レポートや成績評価のことなど、高校とは違う部分で不安な点もいくつかあったので、先生が丁寧に説明してくださって心配が和らいでいった。最後に先生は、
「何か他に心配なことはないですか?」
と尋ねた。しばらく考えた後、私は、
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございました!」
と答えた。
「よかったです。何か困ったことがあったらまたいつでも来てくださいね」
そう言って、先生は私を送り出してくれた。私は先生にもう一度お礼を言って、研究室のドアに手をかけた。ドアを開けようとしたところで、視界に気になるものがあって、私は一瞬立ち止まる。先生と話している時には角度的に見えなかったが、よく片付いた入口側とは対照的に、ホワイトボードの裏の部屋の奥の方は、何かの作業の後のためか散らかっている。
「あ!」
私は思わず小さな声をあげる。部屋の片隅に、見覚えのあるみかん箱の段ボールが転がっていた。ツバメの親子と鳥好きな川澄先生のことが私の頭の中でつながる。私は目を丸くして、先生の方を振り返る。先生はきょとんとして、
「どうしました?」
と心配そうに私の顔を覗き込む。私は精一杯の笑顔で、
「何でもありません。先生、これからもよろしくお願いします!」
そう言ってお辞儀をして研究室を後にした。
エレベーターホールに向かう足取りはとても軽かった。曇り空の中、悪戦苦闘しながらツバメたちのために段ボールで小さな家を作っている川澄先生の姿が目に浮かび、嬉しい気持ちが込み上げてくる。鳥好きで世話好きな私の新しい先生のことを、私は心の中で「カワセミ先生」と親しみと尊敬を込めて呼ぶことにした。
作:加藤大樹
------------------------------------------------------------------------------------
あとがき
みなさんこんにちは。ことばの樹部長の加藤です。
物語の執筆を担当させていただいていますが、あとがきに登場するのは初めてで、少し緊張しています。頼りになって愉快な部員たちと、日々楽しく創作活動を続けています。
今回の作品は、ユリとアドバイザーのカワセミ先生の出会いの物語です。私自身、大学時代の恩師の先生にはとてもお世話になって、今でもお会いすると学生時代に戻った気分になります。学生時代、先生はいつも優しい笑顔で私のことを迎えて話をきいてくださいました。自分が大学教員になって初めて、あの頃先生は、とても忙しい中自分たちのために時間を作ってくださっていたのだと気づきました。先生に直接ご恩を返すことはなかなかできずにいますが、自分が先生からもらったかけがえのない時間を、今度は自分の教え子たちに返していきたいという気持ちでいます。
金城学院大学には、作品の中にも出てくるアドバイザー制度があります。学生一人一人にアドバイザーの先生がいて、学業・学生生活・進路などの相談に一緒に向き合っています。
大学時代はいろいろな悩みも感じやすい時期ですが、人生のいちばん輝く時期を一緒にすごすことができ、いつも元気をもらっています。これからも学生のみなさんの成長を一緒に見守っていきたいと思います。
いつもことばの樹の活動を応援してくださりありがとうございます。
現在も次回作に向けて執筆をがんばっていますので、楽しみにお待ちください!