しおり(後編)
※連載小説「リリィ」は、金城学院大学を舞台にした物語です。
この物語はフィクションであり、実在の人物とは関連がありません。
登場人物
笹川ユリ:この物語の主人公。金城学院大学1年生。
司書さん:ユリが通う大学図書館の職員。
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窓から夕日が差し込み、眼下のキャンパスもきれいな夕焼け色に染まっている。集中していたから気づかなかったが、かなり長い時間が経っていたようだ。発表のための資料作成もなんとか目処が立ったので、私はその場で思い切り背伸びをする。頑張った自分へのご褒美として好きな小説を一冊借りることにして、そっと席を立った。書架の間をゆっくりと歩きながら、今日は何を借りようかなと思いを巡らせる。疲れた頭に優しく沁みる物語が読みたい。長く楽しめるものもいいけれど、今は短く何度も読めるようなものがいいなと思う。窓の外のオレンジ色から一つの作品のシーンが目に浮かぶ。私は、書架の中から、芥川龍之介の名前を探す。いくつかの本がきれいに並んでいて、その中から私はお目当ての本を探す。手に取って目次を見ながら、タイトルを目で追っていく。
「あった!」
「蜜柑」というタイトルにそっと手を触れて、静かに本を閉じる。この物語を初めて読んだのは、たしか中学生の時だった。担任の先生が国語の先生で、授業の時に、自分の好きな小説の話をよくしてくださった。芥川龍之介の作品は、中学生の自分には難しいイメージがあったが、「みかん」という先生の優しい声の響きに誘われて、一度読んでみたくなった。休みの日に、近所の図書館に行って早速作品を読んでみた。短い物語の中に、作者の伝えたいことがきっとたくさん詰まっているのだろうが、その時の私には、最後のシーンの蜜柑が宙を舞う情景がありありと心の中に浮かんで、その色や匂いが伝わってくるようだった。それ以来、ふとした拍子に思い出しては、何度も読み返している。高校を卒業して大学に入学する前の春休みにも、この小説を読んだ。その時には、故郷を離れて旅立つ少女の気持ちに心を重ね、家族との絆がしみじみと伝わってきた。
私は大切に本を抱えて、下のフロアの読書コーナーに向かう。ここには、学生たちが選んだ小説がたくさん収められていて、いつも何を読もうか迷ってつい長居をしてしまう。座り心地の優しい青いソファが私のお気に入りの場所で、ここに座って好きな本を読むのが至福の時間だ。夕方の時間帯ということもあり、読書コーナーに先客はおらず、私は贅沢にソファに腰掛ける。選集のページをめくって、「蜜柑」を読み始める。窓からの夕日はますます色味を増し、部屋全体がオレンジ色に染まっている。ラストシーンでは、私自身が宙に浮かぶ蜜柑たちに囲まれているような幸せな気分になった。入学前に読んだ時には、主人公が家族と離れる寂しさに共感して私も物悲しさを感じたが、今はさわやかな感動がある。同じ物語を読んでも、その時の自分の状態や気分によって感じ方がずいぶん異なることに気づく。
物語を読み終えて本を閉じようとすると、蜜柑の最後のページの後ろに、何かが挟まれているのに気づいた。ページをめくってみると、小さな一枚のしおりがひっそりとページの隙間から顔を出した。白い和紙に、四葉のクローバーの葉っぱを丁寧に乗せて、ラミネート加工がされている。私はそっとしおりの表面を指でなぞり、かすかに盛り上がったクローバーの感触を確かめた。私も、気に入った作品を読み終わった時、その後のページにしおりをはさんだままにしておくことがある。このしおりの持ち主も、きっと、「蜜柑」の余韻に浸りながら、お気に入りのしおりをここに挟んだのだろう。同じ気持ちの人が他にもいることに小さな感動を覚えると同時に、持ち主がクローバーのしおりを探しているのではないかという思いがよぎる。きっと大切なものだろう。そう思うと、急に心配になって、私は一階のカウンターに急いだ。
レファレンスのカウンターに、ちょうど「知識の森」の話をしてくれた司書さんが座っていた。私のことを覚えてくれていたようで、顔を見ると、
「あら、いつもありがとうございます」
と声をかけてくれた。心配そうにしている私の態度を察して、言葉をつないでくれる。
「何か困ったことがありました?」
「あの、この本の中に、しおりが挟まったままになっていたんです」
「へえ、どれどれ」
司書さんは私の手から両手でしおりを受け取ると、手のひらに乗せてそれを眺める。
「かわいいしおり。きっと大切に使っているんですね」
「はい。持ち主の人がきっと困っているんじゃないかって心配になって。返してあげる方法がないかと思ってここに来たんです」
「本の中にしおりが挟まっていることはね、実はよくあることなんですよ」
「え、そうなんですか?」
「うん、ほとんどは、本の返却の時にこちらが気づいて返せるのですけどね。たまに、気づかずにそのままになってしまうこともあるんです」
「そういう時はどうするんですか?」
「大事なしおりだと、たいてい本人から問い合わせがあって、それで手元に帰っていくことが多いかな。このしおりもきっとちゃんと返せると思います。私のほうで預かっておきますね」
「よかった。よろしくお願いします」
私は司書さんに頭を下げて、このクローバーのしおりが無事に持ち主のところに帰ることを祈った。広大な知識の森の案内人の司書さんなら、きっとクローバーもちゃんと届けてくれるだろう。そう思うと、私はホッとした気持ちになった。
「あ、そうだ」
司書さんがふいに思い出したように声をあげた。
「お渡ししたいものがあるんです。お時間ありますか?ちょっとだけ待ってて下さいね」
何だろうときょとんとしている私に笑顔を残して、彼女はカウンターの奥に入っていった。しばらくして戻ってくると、両手の上に一枚のしおりを乗せて私の前に差し出した。
「はい、どうぞ」
そのしおりには、水彩画のような淡くやさしいタッチで、制服姿の女の子の絵が描かれている。胸元の赤いリボンが鮮やかで、前を向いた明るい表情から元気をもらえるイラストだった。本が大好きで図書館に通っていた高校時代の自分を思い出した。
「これ、私に?」
「よかったら使ってくださいね。本が大好きな学生さんがデザインしてくれたしおりなんですよ。あのクローバーのしおりのように、大切に使ってもらえたら嬉しいなって思って」
「わあ、ありがとうございます。すごく嬉しいです。ずっと大切に使いますね」
私は司書さんにお礼を言って、抱えていた「蜜柑」の本の貸出の手続きをお願いした。手続きが終了すると、「蜜柑」のはじめのページに制服姿の女の子のしおりをそっと挟んだ。これからこの子が、私の分身として知識の森を探検してくれると思うと、何だか胸が高鳴ってきた。
「よろしくね」
しおりにそっとささやいて、私は本の表紙を閉じた。
作:加藤大樹
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あとがき
執筆担当の加藤です。「しおり」後編、いかがでしたか?
図書館はわたしも大好きな場所で、図書館を舞台にした作品をいつか書きたいと思っていました。前回に引き続き、司書さんへのインタビューをお届けします。
加藤(K):読者のみなさんには、これから大学生になる人も多いと思います。金城学院大学の図書館の魅力についてぜひ教えてください。
司書(S):図書館学生ボランティア<LiLian>のメンバーと一緒に、「キャンパス内で一番好きな場所は図書館♡」と思ってもらえる空間作りに力をいれています。
S:雰囲気&居心地の良さが、金城学院大学図書館の最大の魅力です!
K:作中で最後に登場するしおりは、実際に学生さんのデザインをもとに制作・配布されているものです。図書館と学生のみなさんのコラボレーションについて教えてください。
S:しおりとブックカバーは、毎年、学生の皆さんとコラボして作成しています。
S:今年はさらにクリアファイルも、学生と一緒に作成しました!手触りにもこだわって、イラスト部分はツルツル、背景部分はザラザラ、2種類の質感を楽しんでいただけます。言葉では伝わりづらいかもしれませんが、高級感があって、とても素敵です。オープンキャンパスの際に、図書館を見学した高校生の方へプレゼントしていますので、ぜひ見学にいらして下さい。
K:司書さんの図書館への愛情が伝わってくるお話でした。わたしも学生のころ、図書館はお気に入りの場所でした。「しおり」が、みなさんの大切な場所を思い出すきっかけになってくれたら嬉しいです。