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王様はバレエがお好き?

109限目バレエの歴史
『バレエが大好きな王様?』
文学部 外国語コミュニケーション学科

2018年4月掲載「車内の金城学院大学」

バレエを奨励し、芸術にまで高めたルイ14世。

バレエは、踊りや音楽、美術、衣装、舞台装置などすべてを含めた総合舞台芸術。このバレエをこよなく愛し、自らも華々しく舞台に立った王がいます。

それが、フランス史上最も長く国王の座にあったルイ14世(1638〜1715年/在位1643~1715年)です。

ルイ14世はバレエの名手としても知られ、初舞台は15歳の時。
『夜のバレエ』という演目で太陽神アポロンに扮して踊り、その後も「太陽王」としてのイメージを広く世に知らしめていきます。

1661年、宰相をおかずに自ら統治すると宣言し、すぐに取り組んだことの一つが、現在のパリ・オペラ座バレエ団の前身となる「王立舞踏アカデミー」の創設です。

そこでバレエの基本となる「5つのポジション」や振付の図式化が考案され、今日のバレエを形づくりました。
今もバレエ用語の多くがフランス語なのは、こうした背景があるのです。 
 

絶対王政の象徴、ヴェルサイユ宮殿

 ルイ14世をあらわす太陽デザインが各所に見られる、ヴェルサイユ宮殿。
ヴェルサイユはパリから20kmの郊外にありますが、彼がこの地を選んだのには理由があります。

彼が即位したばかりの幼いころ、貴族や民衆の大きな反乱が起き、暴徒化した民衆が王宮まで押し寄せて恐怖を味わったため、首都としての歴史の長いパリを嫌い、郊外の地に自分の宮殿・庭園を一から造ろうとしたのです。

当代屈指の建築家、造園家を招き、20年の歳月と莫大な資金を費やして完成した宮殿は、まさにルイ14世の権力をスペクタクル化して見せるための舞台装置。起床から就寝まで自らの生活を儀式化し、一般にも公開することで、すべての視線を一身に集める崇拝の対象としての国王像を演じました。

壮麗な建築や豪華な室内装飾、機械化された噴水や運河を備えた広大な庭園、17世紀バロック美術の粋を集めた宮殿の政治力は、ヨーロッパの王侯貴族の羨望の的ともなり、ロシアのペテルゴフ宮殿、オーストリアのシェーンブルン宮殿、ドイツのサン・スーシ宮殿など、のちの宮殿建築や造園に大きな影響を与えました。

また、宮殿では国内外の王侯貴族や要人を招いての舞踏会や祝祭が繰り広げられ、フランスはヨーロッパの宮廷文化・外交の中心となり、フランス語は当時のヨーロッパの外交語、教養語になりました。
 

ルイ14世のもとで花開いた文化・芸術。

フランスは世界に名だたる芸術大国ですが、その礎が築かれたのもルイ14 世の時代でした。

彼は、芸術や学問を王権のもとにおくことが、国際的にも国家の輝かしい地位を示すことであるとして、「王立舞踏アカデミー」はじめ、絵画・彫刻・科学・音楽・建築などのアカデミーを次々に創設・再編します。

学者や芸術家への年金制度を導入したのもルイ14世で、国家として学芸を保護し、統制する姿勢を打ち出しました。ルイ14世のもとで大きく花開いた文化・芸術は、王自らの威信を示し、フランスをヨーロッパ最強の国に押し上げる戦略のひとつでもあったのです。

しかし、ルイ14世の晩年には、国内のプロテスタント迫害や、周辺国との度重なる戦争が、国力を疲弊させたのも事実。宗教的不寛容や王権そのものに対する批判は高まり、没後100年と経たないうちに革命が勃発、フランスの王権は倒されました。

ルイ14世の編み出した政治プロパガンダの手法は、他国に拡散し、後世の権力者たちが応用・発展させていきます。他方で、ルイ14世時代に生まれた文化・芸術の輝きは、プロパガンダを離れ、革命の嵐をも越えて残り続けたのです。

歴史や文化を学び、多角的に世界を理解する。
それが文学部 外国語コミュニケーション学科

 


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