しおり(前編)
※連載小説「リリィ」は、金城学院大学を舞台にした物語です。
この物語はフィクションであり、実在の人物とは関連がありません。
登場人物
笹川ユリ:この物語の主人公。金城学院大学1年生。
カワセミ先生:ユリのアドバイザー教員。
司書さん:ユリが通う大学図書館の職員。
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周りの空間のすべての音が、圧倒的な量の本たちに吸い込まれたような静寂の中に私は立っている。深く息を吸い込むと、懐かしい匂いが鼻の奥に届く。ふうっと息を吐いて、整然と並ぶ書架の中から目的の場所を探す。
昼下がりの図書館の書庫。静かな空気の中、誰もいない通路を歩く。自分の足音も吸い込まれていくようで、異世界に迷い込んだような感覚になる。通路の真ん中には、ジグザクに交差する細い階段が上に向かって伸びていて、まるで魔法学校のようだと何だかワクワクした気持ちになる。ひとりぼっちでも不思議と心細さを感じず、なぜだろうと一瞬考えてみるが、本たちの存在が私を安心させてくれているのだろうと感謝する。
子どものころから、学校の休み時間はいつも図書館で過ごしていた。クラスの委員を決める時には、率先して図書委員に立候補した。小学生の時に初めて出会った小説に高校の図書館で再会すると、懐かしい気持ちになって何度も借りた。小説は不思議で、同じストーリーのはずなのに、読む時によって感じ方が全く違う。自分の心次第で、気づきや感動がその時々で新しいから、何度読んでも飽きない。高校生の時、図書室の顔馴染みの司書さんは、何度も同じ本ばかり借りる私にいつも「どうぞ」と優しい笑顔で本を手渡してくれた。
大学の図書館は、これまでの図書館が私に与えてくれた安心できる居場所に加えて、新しい知的な興奮を教えてくれる場所になった。大学に入学して間もなく、基礎演習の授業の時間に、図書館オリエンテーションで初めてこの場所を訪れた。司書さんの案内で館内を見て回る間、私の心は踊りっぱなしだった。これまでの学校の図書館や地元の図書館も、私にとってかけがえのない場所だけれど、大学の図書館は出会って間もなく私の心を鷲掴みにした。圧倒的な蔵書には、もちろん私の大好きな小説も含まれている。ちらっと背表紙を見ただけで、読んでみたいと思っていた新しい小説のタイトルがいくつも見つかり、私はすぐにでも借りて読みたい気持ちになった。館内に入ってから、懐かしい居心地の良さだけではなく、大学の図書館に特有の雰囲気を感じていたが、その正体は様々なジャンルの学術書が放つアカデミックな雰囲気だということに気づいた。自分が大学生だということを意識して、少し誇らしい気持ちになる。
私が一番息をのんだのが、図書館の奥の書庫に整然とならんだ学術論文の棚と対峙した時だ。落ち着いた色味の背表紙に綴じられた古今東西の学術論文が、ジャンルごとに棚一面に並んでいる。背表紙には学会の名前や、見たことのない英語のタイトルが並んでいる。大学の授業では、教科書だけでなく研究者たちがこれまでに積み重ねてきた研究にも直に触れることができると聞いていたけれど、その量を実際に目の当たりにすると圧倒されて背筋が伸びる。同時に、これまでに感じたことのないワクワクした気持ちが自分の中に芽生えるのを実感した。小説やエッセイの表紙やタイトルが誘ってくれるワクワクとはまた違う、静かな知的な興奮が自分の中でざわざわと動いている。列から少し離れて立ち止まっている私に、案内役の司書さんがそっと話しかけてくれる。
「知識の森へようこそ」
「知識の森?」
「そう、大学の図書館は知識の森。自分が知りたいと思ったことを教えてくれて、見たいと思ったことを見せてくれる。時間も場所も関係ない。この森では、ありとあらゆる知識がみんなのことを待っているんですよ」
知識の森という言葉が、この図書館をますます私にとって身近な存在にしてくれた。この森の中で、これから新しい発見をたくさんしていこう。四年間ですべての知識に触れることができるだろうか、きっと無理だろう。でも、世の中にはこんなにたくさんの私の知らない面白いことがまだまだあるんだと思うと、これからの知識の森での生活が楽しみになった。
オリエンテーションで初めて訪れた時のことを思い出しながら、私は学術論文の書棚とにらめっこする。カワセミ先生の基礎演習の授業で、学生たちが各自テーマを一つ決めて研究論文を紹介することになった。私は、いろいろ迷った末、子どもの読書のことについて調べてみようと決めた。そのような研究がこれまでにされているかと不安だったが、データベースで調べてみると、とてもたくさんの研究がされているのを知って驚いた。読書量と読解力の関連を検討した研究や、読書体験を心理学的に考察した研究など、面白そうな論文がたくさんみつかった。図書館のデータベースの画面から、それらの論文が収録されている雑誌名や巻号をメモする。メモを頼りに書架から目当ての論文を探す。知識の森の中で宝探しをしているようで楽しい気持ちになる。探していた論文がみつかると、私は思わず、「やった」と小さく声をあげた。図書館の書架から探していた本が見つかった時の喜びは子どものころから変わらないなと嬉しくなる。
窓辺のお気に入りの席に座って、借りてきた論文に目を通す。今の私にはまだ難しい内容も多いけれど、この論文を書いた先生たちが何を見ようとしてきたかはよく伝わってきた。この大学でもっと勉強したら、いつか私もこんな研究ができるようになるだろうか。そう思うと、遠い存在だった学術論文も、少し身近に感じることができた。窓の外を見ると、講堂や礼拝堂のはるか向こうに、瀬戸の街並みや深い緑の森が広がっている。この景色を見ながら、大好きな本を読むのが私にとってかけがえのない時間になっている。
(後編に続く)
作:加藤大樹
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前編あとがき
執筆担当の加藤です。「しおり」前編を読んでくださり、ありがとうございます。今回の作品は大学図書館が舞台です。作品の執筆にあたり、司書さんにお話をおききし、そこからストーリーのイメージを膨らませていきました。今回のあとがきでは、司書さんにインタビューした図書館の魅力をお伝えします。
加藤(K):今回の作品にも、図書館の中で主人公のお気に入りの場所がいくつか登場します。図書館の中でお気に入りの場所、おすすめの場所をぜひ教えてください。
司書(S):お気に入りの場所は<閲覧室3F(新館)の窓際の席>です。
名古屋駅のビル群や、天気が良い日だと鈴鹿山脈を眺めながら、読書や勉強ができる特等席です!
夜景も素敵ですよ。
S:おすすめの場所は<書庫>ですね。6階建ての書庫には、長い年月をかけて集められた資料がずらりと並んでいます。中でも書庫4Fにある雑誌「国文学解釈と鑑賞」は創刊号(1936年)〜最終号(2011年)まで、75年分が 揃っていて圧巻です!
K:今回の作品は、事前に司書さんにインタビューをさせていただき、そこからたくさんのヒントをいただきました。「知識の森」ということばも実際のお話の中でお聞きしたものです。知識の森の案内人として、大切にしていることを教えてください。
S:自分の力で、しっかりと「知識の森」を歩き回ることができるよう、
1年生の春に行う、オリエンテーションに力をいれています。
S:学科ごとに開催し、1年生全員が参加するのですが、<脱出ゲーム>形式にしてあるので、みんなとても楽しんで参加してくれます。
S:本の探し方、論文の探し方、館内のどこに何があるかは、この時点でほぼ身についているので、オリエンテーション後は、皆さんサクサクと図書館を使いこなしています。
K:すてきなお話、ありがとうございました。みなさんもぜひ一度「知識の森」を訪れてくださいね。