もみの木(前編)
※連載小説「リリィ」は、金城学院大学を舞台にした物語です。
この物語はフィクションであり、実在の人物とは関連がありません。
登場人物
笹川ユリ:この物語の主人公。金城学院大学1年生。
ナゴミ先輩:ユリの憧れのお姉さん。金城学院大学4年生。
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コートを椅子にかけて、ゆっくりと腰を下ろす。夕方のW2棟のラウンジは人の姿もまばらで、気持ちのいい温度が冷えた体をゆっくりと温めてくれる。両手を合わせて擦りながら、入口の方を見つめる。しばらくすると、自動ドアがゆっくりと開き、見慣れたシルエットがこちらに向かって近づいてきた。白いコートに長い髪。私が小学校に入学したばかりの頃、毎朝手をつないで登校してくれた憧れのお姉さん。優しい笑顔も、頼もしい言葉も、あの時からずっと変わっていない。
「ユリちゃん、おまたせ。遅くなっちゃってごめんね」
「いいえ。私も今来たばかりです」
「外は寒いね。何か温かいものでも飲みましょうか」
「いいですね!あと甘いものも」
私とナゴミ先輩は二人で笑い合って、ラウンジにあるコンビニエンスストアで温かいコーヒーとドーナツを買った。向かい合って座ると、何だか少し照れくさい。二人とも子どもの頃からよく知っていて、あの頃からずいぶん大人になった。でも、大人になったのはナゴミ先輩だけで、私はいつまでも子どものままのような気がする。
「ユリちゃんが金城に来て、あっという間に一年が過ぎちゃうね」
「そうですね。いろいろなことがあって、びっくりするくらい毎日が早いです」
「それだけ充実しているってことだよ、きっと」
そう言ってナゴミ先輩はコーヒーに口をつけると、優しく私に尋ねた。
「どうしたの?何か相談したいことがあった?」
先輩はいつも私の気持ちをお見通しだ。でも、その優しさがいつも私の心をそっと溶かしてくれる。
「ナゴミ先輩は、春から大学院に進むんですよね。いつから、進学しようって決めてたんですか」
「うーん、実はね、ずっと迷ってたんだ。子どもと関わる仕事がしたいと思っていて、それは今でも変わらないんだけれどね。勉強や部活にボランティア、毎日いろいろな体験をするうちに、やりたいことがいっぱいになっちゃって」
そう言って先輩はふっと笑った。
「本当に迷子になった時、部活の先生に相談したことがあったの。そうしたら、先生は、『今自分にできることを大事にしたらいいと思うよ』って言ってくださって。それでちょっとホッとしたな。この先どうなるかわからないけれど、今はもっと勉強を続けたいっていう気持ちを大事にしてみようって素直に思えた」
「へえ。そういえば、ナゴミ先輩、ハンドベルクワイアのメンバーですよね」
「うん、私の大切な居場所。一人ではできないことも多いけれど、みんなに助けられて、『今自分にできること』をがんばろうって素直に思えた」
そう語る先輩の顔を見ながら、先輩がハンドベルを演奏する姿を想像した。私は、思い切って先輩に悩みを話してみようと思った。
「二年生になる前に、そろそろ希望のコースを決めなくちゃいけなくて。私も先輩みたいにカウンセラーを目指したいなって気持ちがありつつも、自分が何に向いてるのか、本当は何をしたいのかがまだまだわからなくて」
「私も一緒だよ。懐かしいな。ユリちゃんと同じようにたくさん悩んだな」
「先輩は、そんな中でどうやって勉強したい内容を選んでいったんですか」
「うーん、一年生の時は、私はとにかく部活に一生懸命だったから、ハンドベルの仲間ともたくさん話をしたよ。そうしたら、学部や学科は違っても、みんな同じように一生懸命考えてることがわかって、一人じゃないって安心した」
頷きながら話を聴く私に、先輩は思いついたように目を見開く。
「そうだ!ユリちゃん、これから私たちの練習見に来ない?クリスマスツリーの点灯式に向けてみんな頑張っているんだよ。ユリちゃんもきっと気晴らしになると思う」
先輩の所属するハンドベルクワイアの練習の見学に誘ってもらい、少し緊張したものの、ずっと一度先輩が演奏する姿を見てみたい気持ちがあったので、私は誘いに応じて練習を見学することにした。
夕方五時を過ぎると、この季節にはもう薄暗くなってくる。ひんやりとした空気の中、礼拝堂が優しい光でライトアップされている。その隣に大きなもみの木が立っている。もうすぐ、クリスマスを迎えるにあたり、ツリーの点灯式が行われる。その際に、ハンドベルの演奏が行われるのだ。
礼拝堂の隣のラウンジに先輩と一緒に足を踏み入れる。外の寒さとは対照的に、暖かな空気が私たちを包む。部屋の中では、ハンドベルクワイアのメンバーたちが、練習のための準備をてきぱきと進めている。えんじ色のクロスが掛けられた長いテーブルの上に、大小様々な大きさのハンドベルがきれいに整列して並んでいる。照明の光を反射して、金色のベルが眩しく輝いている。先輩がメンバーや先生に私のことを紹介してくれた。場違いではないかと緊張していたが、とても温かく受け入れてもらい、部屋の温度のように私の心も打ち解けていった。
先生が指揮棒を置いて、優しい笑顔で私に声をかけてくださった。
「今日はゆっくり見学していってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
私は素直な感想を言葉にする。
「こんなにたくさんの種類のベルがあるんですね」
驚いた表情の私に、先生が嬉しそうな笑顔とともにこう答える。
「ひとつひとつ音が違って、それぞれの人が自分の音を担当しているんですよ」
「へえ。ハンドベルって、とても優雅な楽器のイメージがあったけれど、演奏するみなさんはとても忙しそうですね」
「ピアノやバイオリンは一人で弾くことができるけれど、ハンドベルは、みんなで一人なんです。チームで息を合わせて演奏するのが大切で、とても難しいけれど、それが他の楽器にはない楽しいところです。ワンフォーオールの精神ですね」
大小様々なベルに私が見惚れていると、先生は白い手袋を私に差し出した。
「ハンドベルの音、出してみませんか?」
「え?いいんですか」
そっと頷く先生から手袋を受け取り、手のひらに収まるくらいのサイズのベルの持ち手を慎重に握りしめる。先生の手の動きに合わせて、自分の体の外側に向けて優しくベルを振る。透明な優しい音色が、私の手元から空間全体に広がっていった。私は目を閉じて、その音が部屋全体に浸透してだんだん小さくなる余韻を楽しんだ。目を開けると、先生や近くにいたメンバーが笑顔で頷いてくれた。たった一つの響きだけれど、初めて私が鳴らしたハンドベルの音は私の心の真ん中に響いて、自然に視界が潤んできた。私はベルを落とさないように両手でそれを先生に返した。
(後編に続く)
作:加藤大樹
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前編あとがき
「もみの木」前編、お楽しみいただけましたでしょうか。執筆担当の加藤です。今回のお話の執筆にあたっては、金城学院大学ハンドベルクワイアのみなさまに温かいご協力をいただきました。練習の見学や、ハンドベルを実際に鳴らす体験もさせていただきました。
ハンドベルクワイアの部長さんにインタビューをさせていただきました。練習や点灯式の写真と一緒にお楽しみください!
加藤(K):ハンドベルをはじめようと思ったきっかけと,いつからはじめたかを教えてください。
部長さん(B):小学2年生の時に初めて大学のハンドベルクワイアの演奏を聴きました。ベルの透き通った可愛らしい音色を聴いて、「私もこの楽器を演奏したい!」と思ったことがはじめるきっかけとなりました。
中学受験をし、中学生からハンドベルを始めました。
K:ハンドベルクワイアの活動内容について教えてください。
B:学内では礼拝やオープンキャンパスで演奏しています。
また学外ではハンドベルフェスティバルという全国からハンドベルチームが集まる大会に参加したり、クリスマスの時期には教会で演奏奉仕をさせていただいています。
そしてメインのイベントは、毎年12月に大学内のアニー・ランドルフ記念講堂で行われるクリスマスコンサートです。讃美歌やクリスマスの曲など約17曲を演奏して、毎年多くの方々にお越しいただいています。
今回のあとがきはここまで。
インタビューは後編のあとがきに続きます。後編もお楽しみに!