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被災者の生活と健康、尊厳を守る「災害看護」とは?

ひとりでも多くの命を助けるために。

2024年の元日に発生し、石川県各地や新潟県、富山県などに甚大な被害をもたらした令和6年能登半島地震。
 
被災地では、いまも厳しい寒さの中での避難生活を余儀なくされている多くの人たちがいらっしゃいます。
 
懸念されるのは、長引く避難生活による体調悪化やストレスが原因で亡くなる災害関連死。
 
「災害看護」とは、こうした被災地に赴き、医師や保健師などと協力・連携しながら行う看護活動で、看護の専門知識や技術を活かして、心身両面で被災者の生活と健康を守る活動をします。
 
日本で災害医療、災害看護という考え方が生まれたのは、1995年に発生した阪神・淡路大震災がきっかけでした。
 
阪神・淡路大震災では、通常の医療行為が行われていれば助かっていた「防ぎえた災害死」が多数発生し、災害医療における初動の重要性が浮き彫りになりました。
 
その教訓をもとに、全国各地に災害拠点病院が整備され、災害現場にいち早く出動し、災害の超急性期から医療を提供するDMAT(災害派遣医療チーム)が創設されたのです。

今回の能登半島地震でも各地からDMATの医師や看護師が被災地に駆けつけ、ひとりでも多くの命を助けるための医療支援を行っています。
 

被災者の心を癒す支援も、災害看護の大切な役割。

災害は発生直後だけでなく、数週間から数カ月、あるいは年単位の中長期にわたって、人々の心身に影響を与え続けます。
 
一瞬にして家や生活基盤が奪われ、避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされた人々は心にも深い傷を負っているため、被災者への中長期的かつ継続的な「心のケア」も、災害看護の大切な役割になります。
 
たとえば仮設住宅や在宅での被災者を定期的に訪問し、脈や血圧などをチェックしながら、被災者の悲しみや怒りに耳を傾ける。
 
お茶会や体操教室、リクリエーションなど、避難者同士が顔を合わせられる場をつくり、健康チェックをしながら、被災者のストレスを発散させる。
 
医療・保健の他職種と連携しながら、安全で快適な生活環境を整えていくことも、心の健康を回復させる上で重要な看護支援です。
 
めざすのは、被災者の思いや暮らしに寄り添い、その人が本来持っていた生きる力を引き出すこと。
 
その力が次のステップに進む力になり、生活再建に向かう力につながっていきます。
  

宗教観や価値観を「文化」として理解し、共感する。

そしてもうひとつ、医療従事者として忘れてはならないことが、各地域に根づき、人々の信仰や暮らしと深く結びついている祭りや文化・風習を理解し、共感することです。
 
地域の人々が長い年月をかけて受け継いできた祭りや伝統芸能は、地域の人々の心のよりどころであり、誇りでもあります。
 
たとえば、東日本大震災で多くの犠牲者を出した福島県南相馬市には「相馬野馬追」という千年の歴史を持つ祭りがありますが、震災が起きたその年の7月、当初の予定通りに祭りを挙行しました。
 
震災の傷跡や記憶が色濃く残るなか、最小限の規模に縮小しての開催でしたが、それは地域の人々の生きる希望になり、地域の人々の気持ちをひとつにして、もう一度ふるさとを再建しようというエネルギーにつながっていきました。
 
災害で生活の基盤を見失ったその時でも大切にしてきたもの(祭事や宗教観、価値観など)を理解し、共感することが自助・公助・共助につながり、本当の意味での他者理解と癒しにつながるのです。

 
患者の思いに寄り添い、“その人らしさ”をケアできる看護職者へ。
それが、看護学部 看護学科

 

2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」について、被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。被災地域の皆様の安全と一日も早い復旧と復興を心よりお祈り申し上げます。


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